プレートテクトニクスは、「我等はアトランティスのように沈められはしない」という信仰
旧来の地震学は、既に破綻しています。
島村英紀さんの著書、「最新地震がよーくわかる本」秀和システム(2005/11)ISBN:4798011959
によると、「地震予知は見果てぬ夢だった」ために、今でも有効な地震予測はできず、私たちは地震に「奇襲」されざるを得ないらしいのです。 (中略)
私にとって、石田昭さんの提唱する新地震論は目から鱗の落ちる思いでした。
地震学を本当に停滞させているものは、学者の無知だけではなく、舶来品崇拝による前提の破壊が進行していたからだと思えるのです。
私たちは、ともすると、自身が今ここにある事が在り難い事だということを忘れがちになります。それが「当たり前」になってしまえば、自分を取り巻く環境は以前も変わってこなかったし、将来も変わらないという前提を持ってしまうことになります。
かつて、「天球」なるものが存在し、太陽を含む天体が「天球」を駆け巡っているという学説が存在しました。今で言うところの、いわゆる「天動説」です。
これは、自分たちの立っているところが動いているはずがない、という信仰にも似た前提が暴走してしまった一例です。
これに対して地球が廻っている、と主張したガリレオは、当時の人々から言われなき非難を浴びた事は伝わっています。
残念ながら、この話は今でも全然笑えません。
プレートテクトニクスを神のように信仰する方々によって、現在の地震学は停滞と迷妄の中に入っているように思えるのです。
今の私から見ると、プレートテクトニクスは、「我等はアトランティスのように沈められはしない」という信仰です。
アメリカ生まれの弾性反発説を否定することには、少なからぬ反発が見られるようですが、弾性反発説そのものが理論的な限界を抱えており、現在の地震学そのものを私は認められません。
弾性反発説は、詳しい人には説明する必要はないかもしれません。
プレートと呼ばれる地表を支えている板状構造が、海嶺で生まれて、海溝で「沈み込む」ことが大地震の原因だとされてきたことは、多くの人が記憶しているものと思います。
沈み込む板は、隣接する板を引きずって捻じ曲げ、この捻じ曲げられた板の弾性で大きく地形が動く。それが、すでに説明されている数多くの地震論における構造的解釈です。
しかし、今回の、2007年夏の中越沖地震を伝え聞いて、皆様、不思議には思われませんでしたか?
「捻じ曲げられた板の弾性」が開放されることで、地震が起きる。実際にそうなのでしたら、3年前に、2004年に起きた中越地震は何の弾性を開放したのでしょうか?
3年前の地震は、長く大きい余震が続きました。よくよく考えれば、弾性反発説を採る限り、付近で同規模の地震が時間を空けずに起きることなどないハズです。「板のねじれ」を整えるものが、他ならぬ地震のはずなのですから。
しかし、それからも、新潟県周辺では大きな地震が頻発しています。
地震は現実であり、事実です。既に起きてしまった事であり、否定することはできません。
だとすると、現実ではなく、事実に基づかず、否定されるべきものはこれまでの地震学だということになります。
もちろん、プレート説もです。
「大陸が移動する」という主張は、詳しく言えば「大陸を乗せているプレートは、ゆっくりと沈み込むが、基本的には水平方向にしか移動しない。だから、近日中に大陸ごと沈み込むということはない。」というものです。
アトランティスやムーの名で知られている、「沈められた大陸」。現代文明がかつての文明のように「神の怒りに触れて、大陸ごと海の底へ沈められる」事はない。なぜなら、大陸は横には動くけれど、基本的には縦には動かないから。
ヴェーゲナーたちが提唱し、推進した「大陸移動説」は、ダイナミックなだけでなく、神の怒りを怖れる多くのキリスト教徒たちにも政治的に受け入れられることになりました。
戦場に女性を呼び込み、風俗営業させる施設を運営することが非人道的なのならば、原住民たちに銃を突きつけ、一転して度数の高いラム酒を飲ませ、へべれけになったところでトンデモ契約書にサインさせて領土を巻き上げていった「開拓者」たちの行為は、「神をも恐れざる」ものでありましょう?
原罪どころか、確実に自分たちが行なった罪について、その反作用について、信心深い人々が後になって気づかないわけではありません。
大陸移動説は、あくまでも大陸の水平移動だけを問題にするものなので、海底の遺跡を調べようという話は後回しにされ、自分たちの住むこの大地が激変に襲われるかもしれないという畏れの感覚を和らげるのに用いられた側面があります。
プレートテクトニクスに基づく弾性反発説においては、
@余震がなぜ起きるのか、
A断層がなぜ地震を伴わずにゆるゆると地震後に出来るのか、
Bなぜ地震後になってから「未知の」活断層が見つかるのか、
これらを明確に説明することが出来ません。
これらに対して、石田地震科学研究所の提示する「地下爆発説」は、我々が直面している問題に対してより現実に即した対処を提案しています。
プレート説以前の研究者たちは、地震と、それに伴う火災に注目していました。
この、火災を引き起こすものは、高温の可燃性ガスであり、それは地面の下から噴出してくるということを、私たちは覚えておくべきです。
関東大震災では、このために多くの建物が燃えました。
そして、近年の奥尻島の地震でも、不可解な被害が出ています。
津波を被って、一面がずぶ濡れになったはずの港湾部で、津波のあとになって大火が発生しているのです。
高温の可燃性ガスが地下から噴出していないなら、水に浸かった建物が燃えるのは不思議を通り越しています。被った水を蒸発させられるまで、対象物は水の蒸散に伴う吸熱反応によって着火から免れます。
では、その可燃性ガスとは何か?
「水」です。
「水」は、私たちは日常的に液体として飲み続けていますが、決して燃えない訳ではありません。
水と呼ばれているものは、二酸化水素とでも言うべきものであり、燃料電池に使われているだけでなく、熱解離によって混合ガスとなり、地震後には爆発に伴う間隙を縫って低圧の地上へ噴きあがります。
そう、「爆発」です。
岡本太郎は「芸術は爆発だ」といいましたが、石田さんの研究に拠れば「地震は爆発だ」になるのです。
地球は、従来の地震学の立場で言えば「半熟卵」のようなもので、外側の白身に相当するマントル部分は「固体」だとされてきました。
しかし、実際の地球はもっと生々しいものではないか、マントルが対流しているのではないか、そう石田さんは考えられているようです。
そして、そのマントルの移動によって、対流によって、地下に含みこまれた水の解離が進行し、その後の加熱に伴う爆発によって、深層における地震が起きている事が示されています。
高温高圧の状態においては、水も蒸発することが出来ません。
海底から噴出する「熱水」というものがあると聞いたことは一度はあるかと思いますが、圧力が高いから摂氏100度を超えていても蒸気には至らないのです。
水底においてもそうであるなら、地底においてはさらに事態は過酷になります。
熱水の上には「臨界水」があり、高温高圧のために水は水素と酸素に分解しかかります。
この状態で圧力と熱が加わると、一部の水素と酸素が分かれようとし、解離が徐々に進行します。
解離が起きるときに、それぞれの分子は熱を吸収しますが、解離ガスは逃げ場もなく、滞留が暫く継続します。
そして、何らかのきっかけがあれば、解離ガスは爆発を伴う化合を起こし、爆発は連鎖的に続いていくのです。
解離は、吸熱反応なのですが、化合と爆発は発熱反応です。
地下で起きた小規模な爆発は、次の周囲の地殻に打撃を与えて、その間隙そのものを加熱します。
その周辺に蓄積されていた臨界水は、間隙で集積しつつ、与えられた熱で大規模に解離し始めます。
間隙を維持しているのは、充満しているものの圧力で、これが上の地層の重みに堪えられなくなると間隙は潰れてなくなります。これが、直上の地域の海没になって現れるのです。
例えば、白鳳年間の大地震で、今の高知県に相当する土佐の国は、黒田郡という一地域が完全に海湾と化し、全滅しました。黒田郡がどれだけ広かったかは定かではありませんが、高知城から南に30キロメートル程度南の海中に、破壊された神社のような建物と瓦が沈んでいるという情報もあります。
また、いまでも別府は有名な温泉地域ですが、別府湾には瓜生島という、人間の手のような形の島が、戦国時代の末ごろまで存在していました。これも、地震のあとで水没し、大被害を与えました。
残念ながら、地面は横に動くかもしれませんが、それ以上に縦に動きます。
隆起したり、沈降したり、水没したりするのです。
そして、爆発によって発生した可燃性ガスが地上に逃げ去る間隙が出来ると、高温によって地表の可燃物を乾燥させ、或いは勝手に燃え出し、地上に大火をもたらす場合があります。
それが、大火に繋がらず、ガスの脱出だけで終わる場合も考えられますが、このようなガスの逃げ道は、ガスが抜けたあとで重みに潰され、地層はずれながら安定します。これこそが「断層」の生成になるのです。
地震のあとで、必ずと言っていいくらい「未知の」活断層が見つかるのは、これらが地震の原因ではなく、副産物だからです。
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